“Parallax ”(パララックス・視差)
「二地点での観測地点の位置の違いにより、対象点が見える方向が異なること」(wikipediaより)
それは右目と左目のあいだに、人と人のあいだに存在する。
同じ現実がそこには存在していても、それぞれの背景によって異なる景色が広がる。
その景色はお互いが干渉し合わない限り、ずっと平行線をたどってしまう。
右目と左目の視差の現象のように、片方の視点では立体感や距離感が損なわれてしまうように現実の人と人、社会と人の間にも歪んだ価値観が存在してしまう。
その価値観はときに大きな流れとなり形成されることによって、例えば無謬主義のもと、曖昧模糊な状況を生み出しては、本質をものみ込んでいくのではないだろうか。
理解し得ないことを、理解するといった言葉では消化しきれない現状で、視差の存在そのものに目を向けて掘り下げていく、または自分の無意識下で同化させていくことが唯一の方法なのかもしれない。
隣人との視差に気づき、遠い人との視差に気づき、昨日と今日の自分の視差に気づき、少しずつ、その何かを受け入れたい。